武井武と独創の群像―生誕百年・フェライト発明七十年の光芒 
「武井武と独創の群像」松尾博志(図書館)を読む。とても面白い。
科学者伝記。ライバルはスネーク(フィリップス社)。
まさか、こんなに面白いとは思わなかった。フェライトという題材が自分の科学知識の穴にちょうどハマり、日本における"産学共同"や"大学からのベンチャー"は こういう形を取っていたのか、とおおまか理解できたという知的好奇心方面が まず一つ。
そして、こんなに強烈にハッピーエンドで、なおかつ強烈にアンハッピーエンドである武井武のストーリーの面白さに打たれた。外から見ると、均されて「穏やかな人生」になるのかな。禍福はあざなえる縄のごとし。
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武井は、師の加藤与五郎教授に与えられた研究テーマでフェライトと出会う。『金属精錬の過程で混入するフェライトを如何に取り除くか』が当初の課題だったが、武井は師が日本を離れてる間に暴走して、フェライトの磁性に注目し、フェライト自体を研究テーマとするようになる。実験のスイッチの消し忘れから強磁性フェライトを発明。1930年。
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フェライトとは何か。非金属の磁性体である。で、本書を読む前は誤った認識をしていたのだが、酸化した金属 例えばサビなどの酸化鉄は非金属になるらしい。陶器と同じセラミックの仲間となる。
磁性体といえば当時は金属しか存在しなかったが、フェライトは一部、金属の磁性体を上回る磁力の数値を示し、工業化に成功する。金属との違いは軽さ、割れやすさ等。フェライトは粉体が元なので割れやすかった。窯業の焼き方を参考に改良。また金属ではないので電気を通さない。
フェライトの工業化当時は金属の磁性体の進歩もあって後塵を拝していたが、戦後に録音・録画のテープやテレビの部品として大躍進を遂げ、金属磁性体とフェライトの地位が逆転する。見えない戦闘機ステルスもフェライトの効果に依る*1。一時期、コンピュータのメモリとしても使用された。
ちなみに最初の工業化はマグネット将棋。当初、武井は玩具に利用されるのを恥ずかしがったが、実際に商品化されると喜んだとの事。
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武井の悲劇は"越境者"であった事に依る。
磁性といえば金属*2だった。主流はフェライトを「泥」「サビ」とみなし、武井に続く研究者は出ず 尻込みし、"非金属なのに磁性体"という面白い題材を素通りした。武井は研究の発表場所にも困る有様。
(この辺、農学者の鈴木梅太郎がビタミンを発見したが、医学会に拒否された事例に似てるか)
とウカウカしてる間に、海外でフェライトを理論研究したネール(フランス)がノーベル物理学賞を持ち去ってしまうのである。
化学者の武井を理論面で共同研究してくれる物理学者がいれば…と著者は悔しがる*3
なお、磁力を軸に簡単な科学史に頁を割いていて勉強になった。
ファラデー*4、キューリー夫*5ケルビン*6-長岡半太郎*7-本多光太郎*8ハイゼンベルク*9、ネール*10など。
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武井のフェライトは大企業ではなく、当時立ち上げたばかりのベンチャー企業TDK*11によって工業化される。
今ではメジャーな企業だが、その創立の事情を本書で読むとかなりドタバタだ。齋藤憲三という風雲児が会社を立ち上げるのだが、前職はアンゴラウサギの繁殖という門外漢ぶり。が

いわゆる電気化学という分野、これには本当にもう私は驚いたんであります。どうして、こんな世界が世の中にあるのか、こういうモノとこういうモノと合わせて、電気を通じればどうなるのか、あるいは触媒の作用によってこうなるとか、これはとんでもない世界だと。これを知らないままで人間の生活をしているような顔をしているのは間違いじゃないかと。

と、一念発起してTDKを創立する。(詳細は省くがカネボウ社長の津田信吾が関与)
戦後 衆議院議員となり、科技庁創設に尽力。
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で戦後、TDKvsフィリップス社(オランダ)のフェライト特許訴訟が起こり、和解。フィリップス社は名を取り、TDKは実を取った。
こじれた一番の原因はフィリップス社の申請を通した日本の特許庁にあるように読める。戦後まもなくの頃、戦勝国の特許申請は何でも通す風潮があったそうだが、それでは役所ではない。訴えられるべきは特許庁だろう。
戦前に特許を認められ フェライト製品を供給していたTDKだが、戦後フィリップス社にライセンス料を払わなければならないと通告され、裁判になるが、結局この裁判がTDKを発展させた*12
裁判に際し、取引先に証言して貰おうとしたTDKだが、「あんな大企業相手に勝訴できるわけがないし、睨まれたくない」と1社の協力も無かった*13TDKが勝訴しそうになると、フィリップス社の取引先である日本の大手企業が和解の使者となる。
TDKは迷った上、和解。
公式にはTDKはフィリップス社の申請したフェライト特許を認める形となる。
当時、部外秘だったが
TDKとフィリップス社はクロスライセンスを結び、TDKの持つフェライトの基本特許とフィリップス社の持つ周辺特許を相互に無料あるいは安く使用できるようになった。
つまり、TDK以外の日本企業は損をする結果となり、おまけにTDKの基本特許は期限切れ寸前だったので、改めてフィリップス社が申請した結果、長くTDKはメリットを享受できる事となったのだった。加えてテレビなどフェライト向きの技術が戦後発展し、戦前とは比べ物にならない程のフェライト需要があったのも重要。
うん。ひどいと思うが、特許庁も取引先も批判する資格がないという意見は著者と同じく。
一番、名誉を傷つけられたのは武井武で、フェライト発明はフィリップス社の科学者スネークであるという通説が世界に流布するようになる。武井は和解反対派だった。
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現在、武井は「フェライトの父」と呼ばれる。
これは武井が国際フェライト会議(以下ICF*14と略す)の主唱者であった事が大きい*15
1960年代、日本が新しい分野の国際会議を提唱するのは前代未聞だった。日本での国際会議すら珍しかった。
最初、武井の弟子たちでICFについて自由に討論させたところ、
「大規模は無理だ。化学屋だけで小規模に開催しよう」
と決め、武井に報告したところ激怒される。
フェライトは化学だけではない。物理も電気も関係する。フェライトに関するあらゆる分野が集まるから国際会議の意味があるんだ」
と。
この辺は、フェライトについて発表する学会が安定しなかった武井の初期の苦しみが脳裏にあったからだろうか。
企業の協賛金が集まらなかったら武井が自腹を切って1000万円単位の金を出す、と明言。
幸い裁判訴訟の時と違い 今回は多くの企業が協力してくれたので、当初の予算を超過したが特に問題なし。余剰金も出る*16
開催年は大阪万博に合わせ1970年。メイン都市は京都。国内から421人、国外から129人が集まる。
また当時珍しかった同時通訳も導入した。
1970 ICF1 日本
1976 ICF2 フランス
1980 ICF3 日本
1984 ICF4 アメリ
1989 ICF5 インド など続く。
ICF4にて武井は「フェライトの父」と呼ばれるようになる。先駆者を称える気風と(武井を認めようとしない一部の)固陋な欧州への反発がアメリカにあったからではないか、と著者は推察してる。
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さて
元々は武井武遺族の依頼で書いたという本書だが、読み物に耐える公平さがあり、ぜひ多くの人が読んで欲しい。理系が好きな文系の人とか。
著者は「武井の業績はノーベル賞に値するか」という件につき、さまざまな証言を集めている。
ノーベル賞は水モノであり、絶対的な評価軸ではありえないが、やはり「値しない」のではないか、と俺は思う。
工業化するほどの強い磁力をフェライトに与えたのは確かに武井ではあるのだが、金属の磁性体を圧倒的に上回る性能のフェライトはフィリップス社を待つしかなかった。TDK-武井のフェライトは本多光太郎の「金属の王国」の後塵を拝すだけ。
これでノーベル賞は無理ではないだろうか。
要するに武井自身フェライトの真価がわかっていなかったのでは。TDKも諸般の事情*17はあるにせよフェライトの海外特許を取っていなかったのは同じく真価がわかっていなかった傍証。
武井だけでなく日本全体がフェライトを見誤り、その中でも孤独に武井はフェライト研究を進めたほうだ、と見る事もできるが。
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与野(埼玉)の偉人て事で読んでみたら、驚くほど面白かった。
与野の人だけどTDKは与野の地に関係なく、創業者の齋藤憲三の地元、秋田に工場を多く持つ。
という事で次回は大宮の人が発明した訳ではないが、大宮に本社工場がある八木アンテナについて読む予定。著者が同じ。
読んだ
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以下本書メモ。
・加藤与五郎がアメリカで師事したアーサー・ノイス(MIT教授)は亡母の声を聞き取る方法をしばらく模索した。後のアメリカ化学界の会長。
・開学当初から、東北大は専門学校*18卒や女子などの傍系入学を許した帝大。僻地の不利をカバーする為とも言われるが、結果 良い人材を集めた。
アイゼンハワー大統領はスプートニク・ショックを受け、ソ連を追い越すには自由国家の協力が必要として
イギリスのジェット推進・レーダー・赤外線の技術
西ドイツのロケット・X線・サルファ剤の技術
イタリアの無線技術
フランスの放射線技術
日本の磁性技術 を挙げた。
・戦時の兵器研究。
仁科芳雄-原爆。朝永振一郎-殺人光線(後の電子レンジ)。湯川秀樹-熱追尾ロケットの弾道計算。
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以下本書正誤。
597頁 大和市和光市
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連想漫画 「ぷっぷちゃん」

*1:日本がレーダーの開発中に、軍艦の主砲だけレーダーに映らないという事態が起きた。主砲表面の黒サビが原因とわかり、武井の弟子の 星野やすし が電波吸収体としてフェライトを研究。80%の吸収に成功した。戦後、星野の研究資料は米軍に持ち去られる。

*2:鉄・コバルト・ニッケルが強磁性三金属。

*3:「金属の王国」のプリンス 茅誠司を念頭に著者は悔しがっている。歴史のif。

*4:電磁誘導の発見。

*5:どれだけ高温だと磁力を失うか、キューリー点の制定。

*6:絶対温度で有名。透磁率の制定。磁心にして、どれだけ磁力が強くなるかの数値。

*7:留学中は磁歪の研究が多かった。

*8:磁性鋼であるKS鋼の発明者。「金属の王国」を東北大につくる。東北大時代の武井の師。

*9:金属の磁性体は電子のスピン(回転)が揃ってる結晶の状態なので磁力が生じるの理論。よくわからん。

*10:フェライトは電子のスピンが逆方向になっている結晶なので磁力が生じるの理論。…わからなすぎる。

*11:東京電気化学工業NHK式ネーミング。武井の所属した東工大の電気化学科が名の由来。

*12:この裁判がなくても先行していたTDKが順当に発展していたかもだが。

*13:勝てそうになった時、1社の協力を得られた。

*14:International Conference on Ferrite

*15:ICFが無くても長い目で見れば、やはり武井が正当に評価されてた可能性もあるが。

*16:余剰金はICF2へ繰越。

*17:企業規模とか戦争とか

*18:高等工業学校、高等師範学校など