世界一シンプルな経済学 (日経BPクラシックス) 
「世界一シンプルな経済学」ヘンリー・ハズリット(図書館)を読む。面白い。
初版1946年の経済学古典。*1
主張は"小さい政府"志向の自由主義。これがリバタリアンて奴か。
序章。経済で誤った通説が多いのは「一部の人間だけ得する主張が一部の人間によって、まるで全体の利益になるかのように語られているから」との事。叙述トリックか。
まず「割れた窓ガラス」から。「割れた窓ガラス」とは19世紀の経済学者フレデリックバスティアが作った経済学的考え。『悪童がパン屋の窓ガラスを割る。しかし、悪い事ばかりではない。パン屋はガラスを付け替え、ガラス屋に利益をもたらす。ガラス屋はその儲けた金を他の店で使うだろう。悪童はなんと多くの人に利益と雇用をもたらした事か』(大意)。本書「世界一シンプルな経済学」では、この考え方に異議を唱える。「いや、割れてしまったからガラスに金を使ったけど、そもそもパン屋は他の事に金を使ってたよ。ガラス屋が目に見える存在だから経済効果があるように錯覚するが、目に見えない不確定なC屋さんの事を常に忘れてはいけない」。
基本、本書はこの話の変奏。
たとえば、通説として「日独が戦後に急成長を遂げたのは戦争で旧工場が焼け、戦後は新しい設備を導入したのに対し、米国は古い設備をそのまま使っていたから」というのがある。
笑止、と作者は喝破。
新設備で生産性が上がるのなら、さっさと買い換えれば良いのだ。「あたり前の話だが、どんなものにも最適の交換時期がある」との事。*2
また経済で重視しなければならないのは『雇用』ではなく『生産性の伸び』であるとも。生産性が上昇した事により、子供や高齢者は働かなくても良くなった。これが発展である、と。原始の時代は全ての人が長時間・重労働を強いられていた。機械化により、人口(雇用)は増えたが、重要なのは『雇用』ではなく、『生産性の伸び』である。更に言うと『生産性の伸び』がもたらす『生活の豊かさ』である、と。
著者によると「どこの国も病的に輸入を嫌い、それ以上に病的に輸出を好む」が、国同士のお金のやり取りはイーブン、均衡するので*3、こだわっても仕方ない事である、と*4。米国では輸出振興の為に以下のような考えが流通されているそうだ(執筆当時か?)
「自国の輸出拡大の為に米国政府が他国に気前良く融資しよう。返済されるかどうかは問題ではない」
日本ではあまり聞かない思考方法だ。(かわりに円安が推されているようだが) 筆者は政府が輸出業者を助け、それ以外の負担を高めているだけで意味は無いと切り捨てる。「対外貿易の真の利益というの輸出ではなく輸入に存する*5」。その国では入手が難しい品物、または高価になってしまう品物を手に入れる為だ。その国が輸出を本当に必要な理由は輸入をまかなう事に尽きる。
特定産業に対する補助金も上記同様。特定産業に税金が投入されたぶん、消費者は他の品物を買う余裕がなくなり、他の産業が衰える。しかも補助される産業は大抵が衰退産業で、要するに投資しても報われる事は少ない。投資されるべき"効率が高い産業"に資金が回らないという事は全体の生活水準が下がるという事である*6。衰退する産業を補助金で存続させる意味は無い。「経済の拡大とはあらゆる産業が同時に拡大すると考えるのは重大な誤りである。新しい産業が勢いよく成長する時には、多くの場合、古い産業は衰え死んでいかなければならない」。
インフレについて否定的な考えを著者は持っているが、時代背景を考えると不思議だ。著者の記憶に新しい大恐慌(Great Depression)はデフレを伴っていた。
インフレについて以下抜書き。インフレといっても"成長に伴うインフレ"ではなく"意図的なインフレ"についての言及。
「インフレは自己暗示であり、催眠術であり、手術の痛みを感じさせなくなる麻酔薬である。インフレは国民を麻痺させるアヘンであるともいえる」
「インフレは一種の税金であり、おそらくは最も質(たち)の悪い税金である。この税金は、払う能力が最も乏しい人に最も重くのしかかる」*7
「インフレというものは、そっとやさしく止めてやることはできない。従って、その後の不況を避けることもできない。そもそもインフレが起きてしまったら、予め決めた時点で止めるとか、物価がある一定水準に達したら止める、といったことは不可能である」*8
またインフレは「生産より投機の方が儲かるように」とも。
通貨については「お金の量と価値の関係は単純に機械的なものではなく」「主観的な価値判断に左右される」「戦争中には勝利をあげた国の通貨は上昇し、負けた国の通貨は下落する。この時、通貨の量は関係ない」
大体は著者に同意できるが、最低賃金制度については見解が異なる。著者は市場を信じているので最低賃金撤廃が活発でスムーズな労働市場に繋がると考えているようだ。労働者と企業が対等であるならば著者の考えもわかるが、実際は企業側の方が力が強く、終身雇用の考えがあった日本では尚更、(労働)市場が的確に人材を配する幻想を持つ事はできない。著者は自分の考えが的を外れるケースとして
「こうした事態にならない唯一の例外は、ある集団の労働者全員が、市場でつけられる金額以下の賃金しかもらっていないケースである。このようなケースは稀ではあるが、特殊な事情や地域性により競争原理がうまく働かない時に起こり得る。だがこうした特殊なケースでは、ほぼ確実に労働組合が組織され、最低賃金法に劣らず効率よく低賃金を駆逐できる筈だ」
と断言しているが、随分とお気楽だ。日本で最低賃金制度の枠外というと過去の外国人研修制度*9やアニメーター*10が思い浮かぶが、そういうバラ色の展開は存在しない。アメリカ人はハッピーエンド脳だなあ。
また「餓死寸前の賃金のX産業が最低賃金によって潰れるのは むしろ歓迎」という論説に対し、著者は「消費者はX産業の生産物がなくなって不自由する」とあるが、そんなに消費者にとって必要なら値上げが可能だろう。そして労働者に還元すれば良い。また著者は「X産業が消滅したら、そこで働いている人は路頭に迷う」と反論するが、これは「新しい産業が勢いよく成長する時には、多くの場合、古い産業は衰え死んでいかなければならない」という著者の説と衝突する。餓死寸前の賃金しか払えない非効率なX産業は当然、退場するべきだ。また著者は「いくら賃金が低かろうと(略)他の選択肢に比べて1番ましだったはずだ」とあるが、そもそも選択肢の重要な要素に賃金があるので、「賃金が低かろうと」って意味不明。X産業で働いていた人が他の職場に移り、そこの(つまり全体の)賃金を下げると著者は指摘するが、一部の人が抱えていた深刻な問題を社会で薄く負担する事になるのだから正しい解決法だとしか言いようがない。
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解説は若田部昌澄教授。インフレ待望のリフレ派の人が解説をしているのは面白い。しかし、時代背景などの解説など理解が深まった。こういう本書みたいのがリバタリアンオーストリア学派なのか。

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*1:その後、最終章に「30年後の再講義」が追加された第3版が本書の原本。

*2:この辺の俗説は信じてたな。設備や機械というより、人材が入れ替わるから成長するのかと。負の成功体験に縛られた高齢者が重しで。

*3:支払いを踏み倒した場合は別か。

*4:経常収支と資本収支が差し引きゼロになるようなものか。

*5:元はジョン・スチュアート・ミルの言葉との事

*6:この辺、著者は市場を過信している気配もある。バブルになったら非効率だ。

*7:インフレは「フラットな消費税」であり、「貧しい人も金持ちも同率で納めなければならない」「貧しい人はインフレを見越して資産を買い込むといった防御手段を講じることもできない」との事。最近のインフレは食糧・エネルギーから高騰して、エンゲル係数の高い貧しい人はエジプトの方で革命を起こしたりした。この辺、「インフレに苦しむ人々は全体主義的な統制を求めるようになる」「ファシズム共産主義の台頭を許す」と書いた著者の展開とは違う。

*8:最近ではインフレターゲットを採用している筈の英国で「インフレターゲットはフィクションだったのか?」等と揶揄されている。参考リンク http://d.hatena.ne.jp/abz2010/20110724/1311516961

*9:「過去」と書いたのは法改正後、どのような実情になっているのか無知の為

*10:請負という形を取るので最低賃金適用外。