「なんで1+1=2なの?」としつこく疑問を呈するクソガキに世間を分からせる方法、に関する考察(ズブズブに理系でいこう!さん)

小学生エジソンは「1+1=2」に納得ができず、「1個の粘土と1個の粘土を合わせたら、大きな1個の粘土なのになぜ2個なの?」
(注2記事より引用)、と食い下がって先生を困らせたという。

これ困るかなあ。先生は論理的に困ったんじゃなくて単に"生意気な1年生"がレアすぎて、対処に戸惑っていただけじゃないだろうか。この時代、教師の権力は絶対的で棒とか鞭とか持っていたんじゃなかったけ。 (google先生への質問に失敗したのでソースは脳内記憶)
小学生エジソンに対して「"+"は そういう意味じゃない」と説明すればいいだけの気がする。「"+"は 『くっつける』又は『くっつけて1つのものにする』という意味じゃないよ。じゃあエジソン君の中では"1+2"は幾つになるのかな?」と問うてみよう。
全部くっついてしまうのか(常に答は1)、大きい数と同じ(この場合は2)になってしまうのかはわからないが、その答えには意味が無い事を小学生エジソンに納得してもらおう。その「エジソン式足し算」の「粘土をわざわざくっつける事に何の意味があるのか」という行為自体の無用性も勿論だし、答えが一定になってしまう計算式(エジソン式足し算)はわざわざ数式を立てる必要があるのか*1という話。厳しく言うと、先生は 教える必要のある事(概念)を教えているのであり、小学生エジソンの言う『足し算』は教える必要があるのか、と。(ここまで言う必要は無いか)
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じゃあ、"+"って どういう意味なのかというと『続けて数える』という意味である。
数式というのは極めて限定的な意味しか持たない。不自由なのだ。日常言語では"或る言葉"が2つの意味を持つ事はあるけど、数式では両義性を許さない。"1+1=2"という算数の最初から、その厳しさは存在する。
などと教えれば良いのではないでしょうか。英語だと"We are talking about counting, not conecting"かな。『くっつける』はコネクトで良いのか今ひとつ自信がないが。
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エジソンを誉めて伸ばそうとするなら、"1+1=2"をキッチリ理解させた上で『一見"1+1=2"にならないようにみえる例』を子供たちに考えさせるのは良いかも。発想力の問題だから大人に対しても良問だろう。(文系の問題っぽいけど)
つまり『1個の粘土と1個の粘土を合わせたら、大きな1個の粘土』の他ケースだが
例えば『1度の水と1度の水を足したら温度は1度』だし
ブコメid:xzglreteさんの『一円玉十枚は十円玉一枚と等価だから、1+1+1+1+1+1+1+1+1+1=1』も説得力あるなー。
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元エントリのズブズブに理系でいこう!さんでは、「1つになった粘土も重さで考えれば ちゃんと足し算してる」という説得プランを提示してるけどちょっとアレだと思う。
重さというのは"連続量"であって、まだ小1には早すぎるかなー、と。まず1個1個が区切れる"分離量"の数の概念で考えないと混乱するんじゃないだろうか。小学生エジソンは その数の概念(分離量)の上で反論してるんだし。(ちなみに時速100キロとか34%とかが更に進んだ"内包量")
それに"1+1=1"という「エジソン式足し算」をきっちり否定する事が大事で、
個数でいえば"1+1=1"だけど重さ(グラム)だと"1+1=2"
という理解をされてしまうと怖い。まんじゅう怖い。
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その他感想
ブコメ id:taninswさん
『疑問=命題ではない。本当の疑問、どこに躓いているか、を探らないとだめ。粘土の思考実験との整合性の無さに疑問を抱いているのだから「定義だから」という返答は、それを解決していない。』

*1:幼く言うと「やる必要があるのか」