バロー教授の経済学でここまでできる!
「バロー教授の経済学でここまでできる!」ロバート・バロー(図書館)を読む。面白い。
アメリカ経済学者のエッセイ集。経済学者評、中南米経済、自国アメリカの経済について等。2003年発行。
「ドル使え」の人として覚えた。その国の通貨にドルを採用させるのに熱心な人。
アルゼンチンのデフォルト前夜あたりが比較的詳しく書いてあったのでメモ。

1991年 カレンシーボード制採用。アルゼンチンペソを米ドルに固定。1アルゼンチンペソ=1米ドル。
1994-95年、対外債務危機に陥ったメキシコが通貨切下げを行う。アルゼンチンも通貨切下げ*1を行うのでは?の思惑からアルゼンチンペソも投機的なアタックを受ける。通貨切下げの観測→通貨が人気なくなる→対抗して金利引き上げ→景気後退。
でもGDP成長率は91-96年は悪くなかった。*2
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1999年、ブラジルに経済危機、通貨切下げ。ブラジルはアルゼンチンの最大の貿易相手国だった為、またアルゼンチンの通貨切下げ圧力高まる。ブラジルから輸入される物は割安となり、アルゼンチンの物価や賃金は割高となる。アルゼンチンは製品の国際競争力としても投資先としても魅力を減じる。1998-2000年の1人当たりGDP成長率は年平均マイナス3.2%。
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2001年春、経済改革プログラム。課題は財政赤字通貨の過大評価
一般的に増税財政赤字を削減するより、支出を削って財政赤字を削減するほうが経済全体にとって恩恵が大きい(と著者)。
アルゼンチンは法人税が高く、設備投資喚起の為に企業減税の約束をしたが、具体的なプランは曖昧。
「通貨の過大評価」に対し、消費財に対する関税の大幅引上げで"実質的な通貨の切下げ"見込む。また輸出には補助金を付与。つまり保護主義。アルゼンチンは一時的な関税である旨、発表したが信頼されなかった。
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また2001年春、ドル単独から"ドルとユーロ"半分半分をバスケットとしてアルゼンチンペソと固定連動させる制度を採用。
アルゼンチンの最大貿易相手は米国ドルではなくユーロ圏。(この制度は長続きしなかった様子)
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2001年夏。財政赤字ゼロ法案。各四半期の財政支出額は当該四半期に見込まれる収入の範囲内。支出の調整は毎月行う。
政府は公務員賃金と年金の削減合意。最も政治的に難しい分野。当時、民間の賃金が下がり、相対的に公務員賃金が高かったという背景もあった。
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2001年9/11テロ後、世界的な景気悪化。政府税収激減で財政赤字悪化。
銀行預金封鎖(年月書いてないけど2001年12月か?デイリールーツファインダーさんによると「国債の借り換えが終わるまでの間、銀行の預金流出を防ぐため、90日間の預金封鎖」)
2002年、財政赤字を紙幣印刷で解消しようとする。海外投資家は資金引き上げ。

後1冊くらいはアルゼンチンについて、別の本で読みたい。
補足 2001年12月 デフォルト宣言
2002年度インフレ率は41%*3
感想リンク A.R.N日記さん h.yamagataさん
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*1:例えば1アルゼンチンペソ=1米ドル→1.4アルゼンチンペソ=1米ドルにする。

*2:ドミンゴ・カバロ経済大臣の在任中の1人当たりGDP成長率は年平均4.8%。1913-1990年の1人当たりGDP成長率は年平均0.6%。

*3:世界経済のネタ帳さん見ると1999-2001年度まではデフレだったのね。1996-98の3年も1%以下のインフレ率。