GMとともに 
GMとともに」アルフレッド・スローン(図書館)を読む。つまらない。
GM3代目が書くGMの話。1923年にCEO就任。1956年に会長辞任。
厚さ(5000円)の割には文字が大きくてスラスラ読めるが、事前知識が足りないせいか、読む為の補助線(比較対照)が自分の中になく、広報を読んでるような味気なさ。まとまりがなく、書き散らしているような感じ。スローンがケッタリング(技術者)を好きなのは把握した。
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漫画「栄光なき天才たち」14巻で引用された

デュラント*1はナイアガラ瀑布の崖の上に独りで立って、自分の帽子で 落下してくる大濁流を必死にすくいあげようとしていた

という一文は見つからなかった。新訳だからだろうか。
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T型フォードの凋落は、オープンカーから鋼板車体のクローズド カーへの移行の流れを無視したから。
また中古車業界が成立し、安く車を買いたい層はT型フォードではなく中古車に目を向けたから。
以上、1920年代中盤以降の頃。*2
GMは「全価格帯での車種投入」「年次モデルチェンジ」という方針を打ち出し、業界の覇者となる。
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リンドバーグの大西洋横断以降、GMは航空業界の可能性を信じた。自動車と同じように家庭向け小型飛行機が普及する可能性である。ノース・アメリカン航空に投資したが、結局その夢は叶わなかった。
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第二次世界大戦時、GMは製造した事のないさまざまな製品を供給した。戦車・マシンガン・プロペラなど。
当時、GMは全米の10%ほどの金属製造設備を持っていた為、軍需生産も全米の10%ほどが妥当だろうと期待された。(結局8%ほどの軍需生産だったとの事)
戦時中は大幅にGM純益が減り、「戦争は企業に巨額の利益をもたらす」は左翼の幻想だとスローン。
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GMはジェネラス・モーター(気前の良い車屋)と揶揄された*3そうだが、その点について以下2件。労働者と株主について。
戦中戦後のストにルーズベルト大統領やトルーマン大統領が労働者側に立った事についてスローンが不満を書いている。
また賃金の物価連動方式を採用した。→COLA(物価調整手当て)とは
これ、原油が上がったら死ぬるシステムだな。車は売れないわ、賃金は上げなきゃいけないわ。
話は戻るが、1923年、GMにMCSという制度が発足する。経営陣の持ち株比率を高める制度。また別の頁で「創業以来、GMの利益は およそ2/3が配当金として分配されている。産業界を見渡しても極めて高い水準である」と書いている(本書は1963年に出版)。さんぶんのに? MCSが悪影響与えてるんじゃなかろうか。
まあ、スローンの時代は それで上手くいったのだろう。結果は正義なので「気前の良い」こと自体は悪くないが、結局潰れたものなー。変化に対応しなかった、過去の社風がマイナスの遺産だったのでは?と疑ってる。
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テレ東(日経)の見方だと、競争相手と正当に争わなかった体質に原因があるような論調だった。何の事例かというと、日本車がアメリカに進出した時、政治に頼って日本車を排除し、GMは研究開発を怠った…みたいな映像をリピートしてた。
俺は戦後まもなくアメリカで起業しようとした自動車メーカー、タッカーを連想する。映画で観た。タッカーも"ビッグスリーに不当に排除された"という筋書き。→タッカー
映画の中でタッカーは「創意工夫/起業精神が潰されるようではアメリカは滅びる。日本にすら駆逐される」みたいな事を言ってたっけ。(うろ覚え)
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感想リンク bizbook.tvさん
関連リンク 
大江麻理子のモヤモヤとーく第2回(32:18)
デトロイト、米最悪都市の末路:日経ビジネスオンライン
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*1:GM創業者。強気の経営でGMを潰しそうになる。

*2:「何色のT型でも手に入れることが出来る。それが黒であるならば。」という冗談も巷間言われた

*3:大江アナのポッドキャスト参照