江戸のワイロ―もらい上手・渡し上手の知恵くらべ
「江戸のワイロ」童門冬二(図書館)を読む。面白い。
日本のワイロについての歴史コラム。田沼意次河村瑞賢・海保青陵など再評価。
童門冬二は「上杉鷹山経営学」(→感想)を書いてるので清貧とか好きなのかと思ってたら、清濁合わせ飲むのか。
最近「犬公方」と馬鹿にされてた徳川家綱が再評価されてる、というニュースを聞いた。歴史を学ぶというのは、歴史の編集者の史観に沿って学習しているという事である。叙述トリックみたいなものだ。例えば「左翼史観」だし、俺は思うのだが唐の太宗「貞観の治」を理想とした史観ではないだろうか。
聖人の威光で皆善人となるような「貞観の治」と、個人の欲望を肯定して利用する田沼意次の政治は相容れないものがある。個人的には田沼意次をもう少し評価して欲しい気もするが、評価しすぎると日本の未来が汚職社会になってしまう気がして悩ましい。
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勝海舟が千両で大砲を発注した。業者が勝の家を訪ねると、埃だらけのそれは汚い粗末な家だった。業者は言われた通りに途中まで土足で上がり、キックバックの300両を手渡そうとする。
「なんだ、これは?」
「お神酒料でこざいます」
「しきたりなのか?」
「しきたりでこざいます」
「300両も設計者に渡して、足りなくなる分はどうするのか?」
「圧銅の量を減らし、別の銅を使います」
「填銅(てんどう)か?」
「よくご存知で」
勝海舟は業者に向き直った。
「俺は いらんから、大砲には良い銅を使ってくれ。こういう事をしきたりにした俺たち設計者仲間の不徳を詫びる。ただ、俺は違うんだ」
業者は以降 勝を引き立て、勝の出世の一助となったという。
感想
部屋が汚いのは駄目人間系だよな。
田沼意次以前、江戸幕府は商人に税を課さなかった。意次は「運上(うんじょう)」「冥加金(みょうがきん)」という商人に対する課徴金を創設した。
田沼意次は平賀源内に命じて全国の薬草を収集させ定期的に展示会を開いた。以降、高価な漢方薬の値が下がり、各地の殖産興業に繋がる。
・海保青陵は江戸期、商人に「自信を持て」と励まし 精神的支柱となった人。川越(埼玉)に出没し、「川越絹が今評判だ。秩父や忍(いずれも埼玉)の絹も川越絹として売り出せば、量が増して多くの利益が得られる」と助言した。
感想
それブランド詐称。
石田梅岩「商工は市井の臣なり」。鈴木正三「行商人の行いは仏の代行である*1」。
・河村瑞賢(江戸期商人)はワイロが嫌いな役人にワイロを贈る必要があった。
その役人の菩提寺の手洗鉢を寄進して成功。
・河村瑞賢の入札額は破格の安さだった。その安さは新手法に依る。
材木を切り出すのに山道を使わず、冬季に雪の上を滑らせて川に落とし、春の増水を待ち江戸や日光まで運んだ。
また、足場を全く組まず、大きな凧に屋根職人を縛り付け、工事を進めた等*2
連想リンク くまくまことkumakuma1967の出来損ない日記さん
・河村瑞賢は労務者の元締めである千川太郎兵衛に悪く思われていた。悪賢い奴だ、と。
河村は千川に、江戸の飲み水を提供する土木工事を持ちかける。工事完成後、河村はその用水路を千川上水と名付けた。
・河村瑞賢は徳川家綱に謁見し、「奇策の士・不屈の士・不撓の士」という言葉を与えられた。河村瑞賢の最期の言葉は「土を掘れ」。
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連想映画 「シンドラーのリスト
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*1:品物ができる地域からできない地域に届けていくという行為は仏の気持ちに叶ったものだ

*2:まあ、これはヒドイな。ヴィレッジ・ヴァンガードの社長も足場軽視だったっけ