「リトルバスターズ!」18話

ハルカ編完結
前回リンク

俺がこの回のサブタイトルをつけるとすれば『光る雨』か。サンライズ風。
図と地を同時に見る事はできない。

↑の騙し絵は「向かい合う顔」として見る事はできるし、「装飾的なグラス(柱)」として見る事はできるが、同時に顔とグラスを見る事はできない。脳が同時に認識できない。今回のリトバスは その事を思い出した。
双子はシーソーのように片方が上がれば片方が沈む、ゼロサムな評価を受けてきた。図と地の寓話はそれだけではない。
間違っているのは「世界」か「自分」か、という意味でも図と地の寓話は生きてくる。

雨と教室のシーンで「雨」の方を明るく描いたのは、意図的な演出と信じる。大抵のアニメはキャラの活動空間を明るく描き(この場合は教室)、外界を暗く描く。あえて反対にしたのは「自分が所属している世界が間違っている」可能性を視覚的に示したものかと。
結局、双子は"彼女らを規定していた世界"を否定して抜け出す。外から観ている視聴者には当然すぎる結論で、「何故もっと早く」とすら思うかもしれないが、自分の所属していた「世界」を否定するのは革命的な認識の変化が必要だ。「図」を認識して捉えていたら、「地」を見る事は不可能なのだ。
その他
・幼女そぉい!
・リキvsハルカで、ハルカが答えを出しているのに、その答えを否定し、『答えは心のなかにあるんだ』と言うのは何だかな。リキの中に答えがあって、それ以外をリキが否定しているだけなのだから、「自分で考えろ」というのは、リキが望むような答えを自分で考えろ、という話。
まあ、リキは外部だから、誤りがよく"見える"という話なんだろうが。
・ハルカ編て西園さん編と同工異曲だけど、これは同じ話を違うアレンジで楽しませる技巧を誉めるべきか。
関連リンク
「汚名返上」の用例はゼロ、汚名は雪ぐもの - こりゃ、ほたえな
「図と地を同時に見る事はできない」関連で上記。
「頽勢を挽回する」という用法があるので、汚名挽回も誤用とは言えないのではないだろうか、というエントリの続きだが、上記リンク先でいう太字の2番目、「整合性」の問題であろう。整合性により、汚名挽回は誤用。
「名誉挽回」と「汚名挽回」が同一の意味だったら汚名と名誉が同じ意味になり、鹿狩り/鷹狩りの混乱の比ではない。が、もしも汚名挽回が用法としてメジャーになったら 今度は名誉挽回の方が誤用となるだろう。図と地を同時に見る事はできない。
まあ、名誉挽回の先行者アドバンテージにより、そういう事態は今後ありえないだろうが。
更にリトバス18話のはなしをするなら、「汚名返上」って 汚名を返す先は上位存在なんだよな。世間様。
そもそも、名を与えるのは偉い人(存在)という枠組みがある。ゴッドファーザーを連想するまでもなく。