BS「城下町へ行こう」『鹿児島』前後編

薩摩の外城(とじょう)制度。藩中央の城下町以外も土地土地ごとに武家屋敷を集中してミニ城下町を作り、そのミニ城下町を外城と呼んだ。薩摩には113の外城があった。外城の藩士郷士といい、中央の城下町の藩士を城下士(じょうかし)と呼んだ。維新の元勲は城下士出身。
西郷隆盛の家は年収200万円。長州の高杉晋作の家は年収1200万円。西郷隆盛の家は1LDKで10人が住んでいた。
薩摩の郷中教育(ごじゅうきょういく)が 薩英同盟 を経て、英のボーイスカウトの元になったと番組で紹介されていたが、Wikiで読んだら俗説扱いだった。
薩英戦争の西瓜売り決死隊。 西瓜売りに扮した武士が英国艦に乗り込むプラン。ベトナム戦争ぽい。80名の大量の西瓜売りは怪しすぎて、艦に乗せて貰えず不発だったそうだが……。英国が引き渡しを要求した生麦事件の張本人も西瓜売りに扮して乗り込もうとしたのが英国式ウィットっぽい。
以下諸説あり。桜島は以前「鹿児島」と呼ばれていた。籠のような船で行ける島。噴火の様子が桜が咲いているようなので桜島桜島に桜は無い。