「ギルティクラウン」21話22話(最終回)

21話
主人公が中心(ガイとイノリ)にたどり着くまでの話。
面白いなー と思いつつ、この展開は「シャングリ・ラ」(アニメ)でもあったな、と思い出した。あの糞アニメ。両方とも強引なストーリー展開なのだが、何故俺は一方を評価し、一方をろくでもないと認識しているのだろうか。特に最終回近辺。
考えるに値するテーマだと思う。
まず1つは絵発想のレベルの違いだと思う。ビジュアルイメージの豊富さ、質の高さが「ギルティクラウン」にある。*1
22話(最終回)

ギルティクラウン」と「シャングリ・ラ」は何が違うのか?の続き。
悪役は小物よりは訳のわからない奴の方がまだマシ。いっそ理解できるありがちなタイプより理解できないタイプの方が良いと言い切ってしまうか。*2
と最終回を観て思った。
連想的には「C」最終回とミルホのラード回。対決と世界危機。又は「ブラッド・ミュージック」。
ラスト、主人公の眼はイノリしか見えてないのでは?と妄想すると軽くホラーだな。
「善人は早く死ぬ」とか「大抵の憎しみ・しがらみは時間の経過でなし崩しに許せてしまう」など割と実も蓋もない作品世界で、実はハードボイルドともリアリスティックとも言えるのか。
感想リンク たこわささん

*1:逆に「ギルティクラウン」1話を観た時に「これは絵発想だけのアニメだな」と1話時点で視聴を切ったくらいだ。

*2:2作品の比較という少ない例だけで結論すると暴論が導き出されそうだな。