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この中のid:itarumurayamaさんの質問「なぜ横浜銀行が地銀で、旧埼玉銀行は都銀だったのか?」について答えてみます。
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実は渋沢栄一がまだ生きていて、裏で手をまわしたって浦和の人が言ってました。
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という冗談は置いといて、「埼玉銀行通史」*1(図書館・館内)を読んでみました。212-213頁あたり。
1968年10月埼玉銀行の支店長会議において頭取が地方銀行から都市銀行に転換する決意を公表。

当行営業基盤の急速な伸張と将来の発展を考え、この際都市銀行に転換することを言明する。都市銀行には国債の引き受け額が大きいなどデメリットもあるが、地方銀行にない機能的に優れた点も多いのが事実である。甲種為銀昇格も、都市銀行昇格で可能性が高まり、社債の受託も認可を受けやすいと思う。国際化時代に備え、より高度な金融サービスを提供できる銀行をめざしてまいりたい。
しかし都市銀行に転換しても、当行の基本方針はなんら変わることなく、従来同様地域社会の発展に尽くすことが当行の使命である。そして地元にしっかりと根をおろすことにより、シェアの確保も可能と考える。
(中略)
都市銀行に転換することによって生じるメリット・デメリットは一層大きくなると思われる。都市銀行という"名"のみを得、"実"を捨てることのないよう心がけ、飛躍的発展を期していただきたい。

1968年12月 埼玉銀行は大蔵省直轄銀行の指定を受ける。
大蔵省直轄銀行となる為、大蔵省や日銀と交渉にあたった企画部長の証言。

当行は1958年に準直轄銀行に指定されていたので、直轄銀行に向けた交渉はスムーズに進んだ。また、他の都市銀行も当行が都市銀行になることは自然の流れと考えていたようである。

直轄銀行となれば都市銀行になるという法的根拠はなく、概念で言えば地方銀行で直轄銀行ということもあり得る。正式には全国地方銀行協会を脱退する事により都市銀行となる。
1969年3月末に全国地方銀行協会を脱退。脱退にあたり
地方銀行代表行の座を静岡銀行に引き継ぐ
地方銀行データ通信システムなどの地方銀行共同事業には参加を継続する
を他銀行と合意。
1969年4月に都市銀行となる。
以上「埼玉銀行通史」より。
「大蔵省直轄銀行」とは何なのか、横浜銀行地方銀行に留まった理由、当時の銀行規模(預金残高やら支店数やら経営状況)など、補足すべき事項もあろうがとりあえず以上。
埼玉銀行都市銀行に転換できる規模・経緯がある状況でメリット・デメリットを考えて、都市銀行になる経営判断をした」
ということでしょうか。
当時、横浜銀行の規模は埼玉銀行より下回っていたようです。*2
なので
横浜銀行は当時、埼玉銀行を下回る規模であり、メリット・デメリットを考えて、地方銀行に留まる経営判断をした」
ということではないでしょうか。と、いうより地方銀行都市銀行になる方が珍しいので、埼玉銀行のケースだけを考えれば良い気がします。

*1:発行:あさひ銀行 1993年

*2:wiki内「横浜銀行」参照。