雑誌

リクルート社の出している「R25」というフリーペーパーで高橋名人のインタビューを載せてる。
当時、名人は高橋名人だけではなかった。各ゲームメーカーが子供を集めて小イベトを各地で開催しており、ゲームが上手いデモンストレーターが名人と呼ばれ40人くらい乱立していたとのこと。そこで唯一サバイバルしたのが高橋名人だった。(蟲毒みたいだ)ある名人は子供の帰れコールで二度とイベントに出ることは無かったという。
「ゲームは一日一時間」はイベント中、思わず高橋名人が発した言葉で問屋筋からはクレームがずいぶんついたというがメーカー(ハドソン)が名人を守り、悪役となりつつあったテレビゲームそのものを救ったという話。