上記エントリ反応と補足

書いた順番その2
上記エントリについてはてなブックマーク
id:hke1120さんより

「一つの正解」などもちろんないが例のワードを安易に使うとその「人それぞれの正解」すら放棄してしまうのでは(少なくとも読み手にとっては)?そーゆー意味の記事だと思うのですが。理解度なんて言葉はどこから?

とのコメント、また
id:unkoeaterさんより

伊藤氏の「浅い文章を書く人っていうのは本当にちゃんと映画を見ていたのか、って疑念も勿論出てくる」というコメントへの精細な反論。「ちゃんと映画を観るってなんだよ?」という腑に落ちない感を晴らしてくれる

とのコメントを頂きました。(id:unkoeaterさんは当サイト当頁にもコメント頂きました)
ありがとうございます*1
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上記エントリを書く契機となった"伊藤計劃(SF作家)による映画評の評"は
1.映画に対する浅い理解の戒め
2.思考停止に陥らず、自分自身の言葉で映画評を書くことの奨励
の2点がキーかと。
2点目については「まあ、そうかな」と思ったので無視しました。(テンプレ的な言葉を使わず映評できたら素晴らしいけど、それは「出来たらいいな」的な努力目標ぐらいに思ってます)
>理解度なんて言葉はどこから?
との指摘がありましたが、"伊藤計劃(SF作家)による映画評の評"の中の
>「自分が読めていないだけなのじゃないだろか」ということに疑いを差し挟まない系
から類推しました。理解度うんぬんは元の文章から外れてないだろう、とは思ってるけど
「監督の意図が映画の意図」うんぬんは伊藤計劃の内心と違う可能性もあります。この辺は決め打ちです。
つまり伊藤計劃も「監督の意図を超えて映画が素晴らしくなる」のを念頭に置いて書いている可能性もあり。
まあ、その「理想の映画」に近づく為に映評を書く訳ではなく、「自分の観た映画」を書くしかないのですが。
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細かい話。
映画での表現を「理解の浅い者」は見逃し、「理解の深い者」はキャッチできる
というケースは悩ましい。あからさまな演出は白けるし、わかりにくすぎるのも困る。
伊藤計劃は浅い理解を戒めてるが、製作側が図に乗って衒学的(ペダンティック)に走られてもアレだ。
とりあえず、わからない時は「こんなんわかるか」と叫ぶが吉かと*2
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大雑把な話。
そもそも、つまらない映画なんか どうでもいい。思考停止的なテンプレを一つ二つ貼れば充分では。
あと、面白くて説得力のある映評なんて読めばわかる。読めば面白いから。つまらない映評なんて(以下略)
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国語の試験と上記エントリ。
俺の上記エントリを要約すると
「映評は好きに書け。製作者の意図すら考慮に値しない」
という事だけど、これは国語の試験に応用できるか?
A「できません」
国語の試験は美人コンテストでいうと「誰が美人か?」ではなく「誰が美人と思われてるか?」という設問。
自分の文化圏*3を把握し、質問者の意図を見抜いてサバイブしましょう。

*1:コメント引用しましたが、削除又は訂正を希望したい場合は その旨お伝えください。

*2:まあ、わかった時は「こんなのもわからないの?」と俺も書くかもだけど。その辺はわかる側とわからない側の戦争状態でOK。

*3:例えば"自爆テロが求められているのか"とか。