書いた順番その1
信用してはならない映画評の書き手の見分け方 - 伊藤計劃:第弐位相
伊藤計劃(SF作家)による映画評の評。
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要するに、映画に対する"浅い理解"を戒めてるように読める*1。「理解度」という考え方は映画に対する「一つの正解」があるかのような一神教的な考え方で、賛成しない。
別に映画作った人が何考えて撮ろうが、観る人にとって ほとんど何の関係もない。観客は自分で映画を判断する必要がある。
例えば、もし仮に「E.T」の監督が錯乱して
「この映画で"宇宙人に会ったら、問答無用で殺さなくてはいけない"事を訴えた」
と発言しようが、観客は発言に惑わされずに映画だけを観て「映画のメッセージ」を判断しなければならない。
監督の内心当てゲームをする為に映画を観ている訳では なく、自分で映画を再構成する為に観ているのだ。と いうより、それしか出来ない。
「その理解は浅いよ」と、思想を統一して各人のアウトプットを揃えた所で、言語化できない所で各人は それぞれ違う映画が内に在るという事。
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サルバドル」(オリバー・ストーン監督)という映画があって「えらくリアリティあるな」と思って俺は観たが、沢木耕太郎(ノンフィクション作家)は「リアリティがない」と酷評してた。
「Love Letter」(岩井俊二監督)はガラス吹きの知人に言わせると「ガラス吹きの道具を粗末に扱った事が許せない」とのこと。
リアリティにせよ、小道具の扱いにせよ、ひょっとしたら映画全体からすれば些細な事かもしれない。それらを覆い尽くす美点が映画には あるのかもしれない。でも彼らにとっては譲れない一線なのだ。誰が「その映画評は浅い」と言えるだろう。
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改めて言うが、監督の意図など観客には関係がない。伝わったものが全てだし、観客の人生観によっても断罪されるのが映画だ。
要は
「映画は観客を選ぶし、観客は映画を選ぶ」
という事。もし、映画がつまらなかったら、映画に選ばれなかったという事も意味する。
ここで観客のとるべき誠実な対応は、つまらなかったら「つまらない」と断言する事で、卑屈に「もっと深い鑑賞方法があるかも」と口を閉ざす事ではない。映画と観客は対等なのだから。
素直に「ストーリーが読めてしまうからよくない」「感情移入できない」など、自分の楽しみ方の基準で映画を評すれば良い。誰かの基準で映画を評するなんて下らないし無意味だ。
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蛇足 西洋圏の映画は ほとんどキリスト教的な裏の意味があって、キリスト教的素養が無いと映画を読み取れないと聞いた事があります。
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関連リンク 
大蟻食の生活と意見さん(中の人は作家の佐藤亜紀) その1 その2
ハックルベリーに会いに行くさん
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以下の追記は
書いた順番その4
になります。
大蟻食の生活と意見さんのその2で、当ブログからのトラックバックを受け、文章を書いてくれた様子。有難いことです。てかネットの世界怖い*2
で、その2を拝読した。
1. ディスクリプション → 2. 判断 → 3. 解釈
の1からつまづく。色が違うのも映評として有り得る、というスタンスなので。
「それは常識と違う」という反応もむべなるかな と思うが、最初からそういう事を言っているつもりだった。
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「作った映画」と「観た映画」*3と「(映評として)書いた映画」は、それぞれ全然別のモノである、というような意味の事は既に書いたと思う。
「観た映画」は当然 見落としと思い込みに満ちている。
事実誤認に基づいて「観た映画」を感動してしまい、感情に任せた映評を書いたとしても、読者としては全然OKだ。読んで面白ければ。
そもそも、映評を読む目的は「そういう解釈があったか」と驚く為にある。俺は。
更に言うと、新しい映画を観るような気持ちで映評を読んでいる、と言っても良い。
(例えば、信号機の色を見間違え、「現実と違う配色の信号機なのだから、あのシーンは夢での出来事なのだ」と書き手が主張し、見事に他の部分と整合性を保った論展開を始めた場合など。読者がその映画を再視聴して書き手の事実誤認に気付くまで、「その映画」は確かに読者の中に存在したのだと言える。)
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別に「理解度が深い」映評を嫌っている訳ではない。それはそれで大好きだ。
或る種の共同幻想に造詣深い書き手がわかりやすく解説して、映画にリンクづけてくれるなら大歓迎。薀蓄が嘘だったとしても許せるかもしれない。
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難しい薀蓄を入れれば100%小説が面白くなるか?といったら必ずしもそうでないように、
難しい薀蓄を入れれば100%映評が面白くなるか?といったら必ずしもそうでないが。
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大蟻食の生活と意見さんのエントリを読んだOohの日記さんのエントリを読んで、
「映画は国境や時代を超えるか」
という命題を少し考えた。というか考え中。
「現代において再評価される」なんて事例(ケース)とか。それは"積極的な誤読"といっても良いのかな。

*1:『「自分が読めていないだけなのじゃないだろか」ということに疑いを差し挟まない系』から類推。

*2:いい意味で

*3:同一人物の同一映画の鑑賞でさえ1回目と2回目では「違う映画」を観ているといっていい。