ペルー日本大使公邸人質事件の真実
(ぼやきくっくりさんより)
日本大使館がゲリラに襲撃され、大使館員らを人質に何ヶ月も占拠されてた事件。現地ペルー政府が武力突入して何故か日本人人質に死者が出なかった顛末が不思議だと思っていたが、その時の一証言。
「平和解決」を望む日本も「人質犠牲やむなし」で突入するペルーもそれほど的外れとは思えないし、非難する気にはなれない*1。フジモリ大統領は強権的だが、国内の治安を良くし、貧民層に人気のある大統領だと当時認識していたっけ。(任期の末期はよく知らない)
日本大使館の人*2が書いた事件手記も読んだ。うっすら記憶に残ってるのは、ゲリラの武装占拠が長く続き、ゲリラ少年たちと日本人の間でだんだん馴れ合って、ペルーの貧困に対し議論をしたというくだり。
ゲリラ少年は「外国がペルーから搾取しているので、自国主義を採るべき」と主張し、日本人は「例えば自動車をペルーで製造すれば、輸入した時より割高になる。つまり多くのペルー人が車に乗れなくなる。それぞれの国がそれぞれの得意分野で貿易をすれば世界は より豊かになる」と反論し、ゲリラ少年は すっかり納得したとのこと。
日本人の主張はいかにも平和日本な主張だと読んだ当時思った。ゲリラ少年も一方的に言い負かされる事もないのに、と。 両者の主張は、調整を採りつつ中庸を選ぶべきものかと。

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*1:非難をするなら、対案を出すべき。ただ事件当時思ってたのは、ゲリラ勢力を非武装にして合法化・政党化する交渉はできないかとは夢想していた。事件実行者は収監で。…まあ難しいか

*2:多分青木大使